2009年8月25日火曜日

やってしまった

夏休みに久しぶりの山登り。
毎年、夏休みは山を3~5座(山)登る事にしており、今年も5(座)山ほど計画した。
金曜日、夕方出発し、最初の登山口に向かう。
前回あたりから車の運転を注意するように言われているので、制限時速内の
安全運転で向かった。土日(お盆も含む)高速料金1000円の影響があるかな
と思ったが、渋滞はさほど無かったが夜半過ぎに登山口に到着する。
遅めの夕食を取り、就寝。

朝、目がさめると周りには数台の車が駐車しており、登る準備をしていた。急いで朝食をとりながら、支度をし、出発をする。出発直前よく登りに来るという単独の人から、予定していたコースでない方が登りやすいとアドバイスされおとなしく従うことにした。山は3時間ほどで一つ目の頂上に到着し、すぐに2つ目の山に向かうが、変な階段続きで結構手間取る。1時間ほどで到着するが、あいにくのガスで眺望ゼロ。すぐに元来た道を戻り一つ目の山から下山に入る。アドバイスで登りに予定していた道を下り始めるが、階段の連続でアドバイスが正しかったことが分る。そういえばアドバイスしてくれた人は登ってきた道を引き返していた。こちらは同じ道では面白くないとこの道を選んだが、結構きつかった。他のパーティーも音を上げていた。 それでもそこその時間で駐車場に到着。すぐに装備を解き次の場所に向かう準備をする。 自動車のフロントガラスに温泉施設の割引の案内が挟んであるので、昨日も風呂に入っていなかったので、案内に従い向かう。登山口から東京方面に少し戻ったところに温泉はあった。温泉は赤い色でまだ時間が少し早いのかお客は3人ほどだった。30分ほどであがり、さっぱりしたところで次の場所に向かう。 途中今夜と明日の食料を購入するためにスーパーによる。 それにしても今日はなんとなく足元が不安定だった。(来る前のトレーニング不足なのか、年のせいなのか、このことが次の山で「やってしまった」になる原因だったかもしれない) 次の登山口への入り口は途中までは良かったが、なかなか分らず、探してしまった。登山口は神社前の広場で誰も来ていなかった。小生のような登山者は少ないかもしれない。夕闇も迫ってきたので、すぐに明日の用意をし、夕食を食べることにした。それにしても川が近いせいか、空気が湿っており、蚊が多い。車の窓に網戸を取り付ける。(これで少しはかに刺されなくなった。)

食事をし20時ごろ就寝。

朝起きてみると周りに数台の車が駐車しており、数人の人がすでに身支度を整えて登りにかかっていた。起き出し、顔を洗ったついでに入り口にあるコースの看板近くにいた2パーティーとコースなどについて話す。(1パーティは、仲間の都合で新道を行くといい、もうひとつのパーティは高校生と先生らしく険しい方を行くといっている) 当然今回の目玉として小生も険しい方を選び高校生グループのすこし後に進む。全工程約10時間であるが、今回はあまり無理をしないということで小屋どまりを予定していたが、出発パーティを見てみるとみな日帰りのようなので、急遽予定を変更し小生も日帰りにすることにして、荷物を軽くすることにした。万が一小屋泊になっても夏なので雨具とジャンバーとセーターでしのげると思ったので、寝袋などをおいていくことにした。(寝袋とポンチョとトランシーバを置いて行ったが、まさかの事故でポンチョとトランシーバを置いてきた事が裏目に出る)
直ぐに鎖場が連続したきつい登りになった、それにしても今日も汗が良く出る。昨日の服装からズボンを変えたが、上半身の汗が下に流れるのかびっしょりとなってちょっとまとわりつく感じになってきた。昨日のズボンと変更した理由は、ベルトが使用できないので、不便だったからであるが、どうも具合が良くない。4合目、五合目と何とか登ってきたが、やはりポツリポツリと降って来た。
雨が気になり、引き返すことも検討したが、来た道は結構きつく下るのも難儀だなと思い、後1時間少し登れば尾根筋に出るので続けて登ることにする。 七合目あたりに来ると雨も小止みになり、視界も下界がたまに見える程度に少し開けてきた。
来た方向を見ると単独と数人のパーティが登ってくるのが確認できた。7合目で斜め前方に見える滝を眺めながら少し休んでいると早くも単独の人が登ってきた。この山の経験をたずねると初めてだということだった。先に行ってもらい後からゆっくりと出発する。すぐに鎖場が出てきた。いつもと違いどうも今日は鎖場を登るタイミングが悪いのかスムースに登れない。3,4鎖場を登ったところで狭い道の少し平坦な場所に出た。雨がまたぱらついてきた。平坦な場所があと少しで終わるところで足を滑らせて谷側に滑落。とっさに周りの草をつかみ何とか這い上がる。「危ないところだった」、落ちればかなり高い所だったのでどうなっていたか分らないなどと思いながら山側を見ると確保のためのロープが張ってあり、ここは気をつけなければいけない所なんだと思いつつロープの端まで行った所でまた足を滑らせる。というよりもつれた。今思えば、一回目の滑落でかなり足に負担がかかり、足がもつれたのかもしれない。滑落したとき一回目と同じ反応で周りの草をつかんだが今度の草は人間の重さを支えることが出来ず、そのまま谷底に滑落。
数秒後(実際はもっと早かったかもしれないが)下に到達、その瞬間足を軸に頭から後ろに一回転する。大きな岩が目に飛び込む。瞬間頭を保護したが背中を強打し、激痛が走る。息が出来ないほどの激痛。しかし何とかしなければと上を見上げると登山道が見える。気を取り直しとにかく登山道まで戻ろうとザックを背負いなおし、上り始めるが、大きな岩に阻まれ、登れない。背中の激痛が酷くなる。意味のない大きな声(声というより吠え)を上げ、痛みを和らげる。今までに経験したことの無い打ち身とは違う痛みだった。雨も激しくなってきていて、岩が滑り何度か滑り落ちながらも何とか登山道に戻るが、痛みが酷くもう歩けない状況だった。無理してでも登山道に戻ろうとしたのは、先に確認していたパーティがくれば何とかなるかもしれないという思いがあったからである。登りきり沢の端に座れそうな場所を見つけ、座り込む。
9時30分ごろ、痛みに耐えながら、待っていると先ほど見かけたパーティーが近づいてきた。パーティーの一人に事情を話し小屋に連絡をお願いする。パーティーは3~4人(痛みが酷く周りの状況が良く理解できなかった)だったようであるが、快く引き受けていただけたとともにこのような場面に慣れているのか、私の携帯電話番号などを聞き取って言ってくれた。これは後で大事なことだった。
(遭難した場所は圏外だった/私は今回DOCOMOとSOFTBANKも持参したが
どちらも圏外/パーティーの方々のも)

パーティーが登って行った後、しばらく痛みが続いたが、姿勢によっては痛みが
ほとんど無いことが分り、じっとその姿勢で耐えることにした。
予想では登り一時間程度救援に来てくれるまで1時間程度と予想し12時近くには
何とか状況が変わることを期待してじっと待つことにした。
雨が激しくなってきたので、雨具の上はすでに来ていたので、雨具のズボンを
はくことにしたが、痛みが酷くなかなかはけない。
何とか穿く。また、雨をしのぐために持ってきた大き目のビニールをナイフで裂き、
テントを作る。立ったり姿勢を崩すことが出来ないので、座ったまま姿勢を保ちの
作業で時間がかかる。何とか裂くことが出来たのでかぶって雨をしのぐ。
沢沿い(沢の先端)だったが午前中のせいか風が無かったのが幸いした。
その後、単独行の2組が通り過ぎる。声をかけてもらう。とりあえず、先のパーティに
頼んだのでと、お礼を言うが、痛みがひどくあまり答えにならない声で礼を言う。

12時になっても状況が変わらない。痛みは消えないが後1時間立っても状況が
変わらなければ、自力で行こうと思い始めた。
雨は土砂降りではないけれど相変わらず降っていた。
13時になり、子雉が打ちたくなり、痛みをこらえて立ち上がり、立ち木につかまり
ながら何とか済ませていると、携帯のバイブが呼び出していた。
あわてて携帯を開くとSMS(ショートメッセージ)が入っていた。
メッセージを開くと警察からの問い合わせで、藁をもすがる思いで、痛みをこらえ
電話かけると南魚沼警察につながり、遭難している状況を聞かれる。
座っている場所は圏外になるので痛みをこらえ立って応答していたが、応対して
くれた方が、GPS付きの携帯であれば、110番を掛け、場所の特定をしたいとの
ことで、またあわてて110番を掛ける。しかし電波が弱いのか携帯が悪いのか
場所の特定はできないとのことで、雨の中地図を開きながらおおよその場所を伝える。
このあたりからバッテリーが乏しくなってきたので、通信を切る事にした。その後、
2度ほど通話をしたあたりでバッテリーが切れる。通話から事故は分かってもらい、
救助隊が向かっているということだったのでとりあえず安心しまた座りなおす。
(携帯のGPSについては、別のブログでも書いたが、どうも頼りにならない、対応して
くれた110番の方も言っていたが、携帯によってだめな携帯もあるそうだ
/次回は別メーカーにしてみようと思っている)

いつなら予備バッテリーを持参するのにこういうときに限って忘れてくる。何度か
SWを入れてみるが、バッテリーが切れたとのメッセージが無常にも流れる。
暫く、痛まないように姿勢をとり、救助を待つことにした。
16時少し前になったころ、ヘリの音がしてきた。あのヘリが救助だといいな等と思い、
意味なくかぶっていた黄色のビニールを振ってみる。
(後で携帯の留守電を聞いてみると警察の人がヘリが向かっているのでタオルなどを
振ってみてほしいと入っていた。)。
ヘリはかなり近くまで来ていた。暫くすると人の声がし、4~5人の人が私を見つけてくたれた。どういう人かよく分からなかったが、本人確認やら、傷の状態などを確認し連絡していた。このころになると長い時間耐えてきた状況から開放された安堵から急にだらしなくなっていた。駆けつけてくれた人たちのことより早く病院にでもどこにで連れて行ってほしいと思うだけだった。
一応、事務手続きとヘリがホバリングしても危険がないかを確認した後、XXXを焚く様リーダーが指示し、ヘリが近づいてきた。 (はじめたホバリングの下にいてねそのすごさに驚かされた。この状態では浮石などが飛び場合によっては落石が発生するそうでチェックが欠かせないようである。)
ヘリから1名の隊員が降下し、私をチェイルドシートのようなもので確保し、ロープで吊るす用意をした。とにかく痛くて上を見上げることができないので、よく分からないが、ヘリは真上にはいないようであった。用意ができるとヘリに連絡し吊り上げることになったが、ホバリングの風が強く雨具のフードを深くかぶり必死に痛みと風に耐えているといよいよ吊り上げることになった。ヘリが上に移動しているのかクレーンが引っ張っているのかロープが張り始めたが下の隊員が私の体を強く確保しているので上に行かなかった。暫くロープが張った状況になったとき、確保をはずすとピュ-ンと空中に飛び出した。多分ただ引き上げると周りの機などにぶつかるので一気に引き上げたのだと判断された。
ヘリに引き上げられるまで、たいした時間でなかったと思うが、結構空中散歩になり、痛みと落ちたらと思う恐怖があった。なければ楽しめたかもしれない。(不謹慎)
ヘリに収容されたが、痛みが増して床に寝かされていたが唸っていた。下にいた隊員が戻ってきて、地上まで搬送が始まった。床に寝かされているので空しか見えない窓を見ていたが、どこまで行くのか皆目見当が付かなかった。10分ほどで地上に到着すると救急車が待機していてそのまま近くの病院に搬送された。
付いた病院の場所は聞かされていたが、どの程度の病院なのかは分からなかった。とにかく痛みが増してきて大きな唸るばかりであった。(これで単なる打ち身だったりしたらどうしよう?)
ベットに寝かされたまま、すぐに着ている物を剥ぎ取られ、丸裸でレントゲン、CTスキャンを取られる。結果は肋骨骨折と気胸ということであった。骨折は命に別条ないが気胸はすぐに手術の必要があるということで即手術が行われた。(これがものすごく痛くて、本来の痛みがどこかに行ってしまった)
手術が終了するとそのまま(素裸のまま)、集中治療室に入れられ一晩監視付きになった。ついでにレントゲンで尿がたまっているがトイレにはいけないだろうからと尿道に管を入れられた。
一応、処置がされたので、安心したが、痛みは取れない(まあ、当たり前か)
人が痛がっているのに地元のおまわりさんがいろいろと事情聴取にやってきた。痛いのであまり考えられないで聞かれるままに答えておいた。(うそは言っていないが、事故については、ちょっとオーバーに言っていたようである)
翌日、家族も来たので、集中治療室から一般病棟に移る。先生が病状を説明するということで家族が聞きに言ってくると本人は痛みだけで大したことがないと思っていたが、結構大したことだったらしく驚いていた。先生がなんと言ったかは定かではないが、死んでもおかしくなかったといわれたようで、結果大したことがなくてよかったよかったといっていた。入院は気胸の手術で入れた管を抜くまでと言われていた。一週間ほどはチンチンに入っている管と肺に入っている管があるのであまり動けなかった。それ以上に何が痛いのか分からないが、動くと強烈に痛むので別とでじっと上を向いたまま、うつらうつらとしていた。健康なときは上を向いたままでいられないのに。 3日目くらいから管をつけたままだが、引き連れてトイレに行くことができるようになったが、便器に座るのも、立つのも痛くて大変だった。実は、今回はいつも時と異なり、初日から便秘になっており、4日ほど便がたまっている状況になっていた。便秘等経験のない私としてはちょっと心配になり、トイレに行くのだが、力を入れると痛いのでますます便が出ず、心配になっていた。先生は心配ないというが、このまま詰まっては困るな~などつまらない心配をしていた。
2日ほど肺に刺した管の状況を確認したが、順調そうだというので空気を抜く管を閉め、さらに様子を見ることになった。結構順調に回復しているようであった。(このあたりは退院後、気胸について調べてみると確かに生命に危険がある場合もあるようであった、日ごろの行いがよかったのか早く回復しているようであった。自賛)
5日ほどで管も抜け、退院可能となったが、抜いた後の処置と経過を見るため、もう少し入院することにした。どうせ会社は一月ほど休むと言ってあるし、地元の病院に転院するにしても面倒なので、入院を続けることにした。それにしてもこの病院はベットが比較的空いていた。
10日後、管を抜いた後の抜糸が済んで晴れて退院となった。
この後自宅に帰宅し、暫く痛みと戦うことになりますが、今回のブログはここまでとします。